14位:小泉孝太郎(俳優)
小泉孝太郎は、元総理大臣・小泉純一郎の息子にして、長年俳優を務める人物。小泉孝太郎や政治家の小泉進次郎の曽祖父にあたる「小泉又次郎」は、戦前に小泉組というヤクザを率いていました。
小泉組は、神奈川県横須賀市で土木請負業を担当しつつ、その地域一帯の秩序を統一する存在。いわば現在の暴力団ではなく、任侠などを重視する極道に近い存在と思われます。
小泉又次郎は博徒やゴロツキを黙らせるため、刺青を彫っていました。彼は1908年から1945年まで衆議院議員を務め、濱口雄幸内閣や第二次若槻禮次郎内閣の逓信大臣を務める大物政治家に成長。ただ彫り物は公認の事実だったため、「いれずみ大臣」の異名で呼ばれました。
小泉又次郎は1907年に芳江という娘を授かり、娘婿の小泉純也と結婚。そうして誕生したのが、後に総理大臣になる小泉純一郎でした。小泉組は既に存在しないものの、小泉ファミリーは親分になる資質を受け継いだ者達と言えるでしょう。
13位:貴闘力(力士)
貴闘力は、二子山部屋に所属した元大相撲力士でありプロレスラー。彼は父親が暴力団の団員だった事を公言しています。貴闘力の父親は、戦後の物資難の中で学校1年生の頃から沖仲士の仕事をしていました。
やがて父親は暴力団に入るものの、貴闘力が小学生の頃に破門。一家は夜逃げ同然で山口県に転居しました。元々、相撲部屋に入った経緯は、父親は自宅にお金を入れる事はなく、父親に対する嫌悪感で相撲部屋に入ったというものが通説でした。
ただ2020年に自身のyoutubeチャンネルで語ったところによれば、中学時代に福岡で父が麻雀屋経営を成功させたという話もあり真偽は不明。いずれにせよ、父親が博打好きだった事は間違いなく、貴闘力が父親に反感を持っていた事は間違いありません。
その後、貴闘力は父親同様に賭博にのめり込んでおり、2002年に相撲部屋を解雇されています。やはり血は争えないのかもしれません。