4位:小室ブーム終焉の理由

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90年代の音楽シーンを牽引した「小室ブーム」ですが、実はその期間は1994年夏から1997年のだったの3年。1996年4月にはオリコン1位〜5位のシングル全てが小室さんのプロデュースの曲でしたが、1998年には小室プロデュースの作品が年間シングルチャートでトップ30に入っていません。

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小室さんが「自分の時代が終わった」と感じたのは、1998年12月に宇多田ヒカルさんがデビューした時でした。小室さんは宇多田さんの歌を聴き、自分の引退すら考えたと語っています。
最近、小室哲哉さんが「ヒカルちゃんが僕を終わらせた」と語っていました。これは彼女の才能に対する最大限の賞賛だと思います。彼女が登場した頃の日本の音楽界は小室さんや小林武史さんなどのプロデューサーが牽引し、大ヒットを飛ばしていました。でもそんな彼らですら、宇多田ヒカルの天才性、溜めこまれたマグマが爆発するような衝撃の前には、脇役に回らざるをえなかった。
引用:文春オンライン

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この他にもGLAYなどのビジュアル系バンドの台頭、モーニング娘。や浜崎あゆみ。様々なジャンルの音楽が台頭する中で、小室さんは「メガヒットに頼らないセレクトショップのような音楽を目指したい」と決断しました。
しかし、小室さんの周りには既に「イエスマン」しかいない状態。ブームの終焉と共に音楽のあり方にも悩むようになり、2001年にはソニー・ミュージックエンタテインメントとの専属プロデューサー契約を解除。前受報酬(印税)18億円を返還し、小室さんは借金を重ねました。
音楽の大量消費に大量生産。音楽業界はその繰り返しであり、小室ブームの過熱感と終焉の流れは、音楽業界の光と影を見ているようです。