36位:永山事件 – 1968年

出典:産経新聞
永山事件は、1968年10月から11月に東京・京都・北海道・愛知で起きた4件の殺人事件の総称です。犯人の永山則夫は事件当時19歳。複雑な家庭環境で育ち、中学校の頃には窃盗を繰り返していました。
1968年10月8日、永山は在日アメリカ海軍・横須賀基地内で拳銃を盗み、11日に東京プリンスホテル、14日に京都の八坂神社で警備員を射殺。26日に北海道で11月5日に愛知県でタクシー運転手を射殺。警察は一連の事件を広域重要指定108号事件に指定しました。

出典:時事ドットコム
1969年4月7日に永山は逮捕され、21年の歳月を経て死刑判決が確定しました。獄中で永山は執筆活動に邁進し、小説『木橋(きはし)』で第19回新日本文学賞を受賞。才能を開花させます。その後、永山の刑は1997年8月1日に執行されました。
ちなみに永山事件の裁判では、「永山を死刑にする理由」として犯罪の性質や犯行の動機などの9つの要因が提示されました。これを「永山基準」と呼び、死刑を下す基準となっています。
35位:三菱銀行人質事件 – 1979年

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三菱銀行人質事件は、1979年1月26日に大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店で起きた銀行強盗事件です。犯人の梅川昭美は行員と客30人以上を人質に立てこもり、警察官2名と支店長と行員、計4名を射殺。国内の人質事件では初の死者が出た事件となりました。

出典:現在ビジネス
梅川は犯行当時は30歳ですが、15歳で強殺事件を起こした前科がありました。梅川が少年院に入る時、裁判官は「少年が今後社会に出れば、再び犠牲者が出る可能性があるが、少年であるがゆえに処罰しえない」と発言。その懸念は現実となったのです。

出典:海cafe2
梅川は三菱銀行人質事件で女性行員を全裸にして肉の壁にした他、死亡したとされた行員の耳を切り落とさせる等の猟奇的な行動を命じ続けました。立て篭もりは42時間にわたり、最終的には梅川が射殺される事で事件の幕は閉じています。
吐き気がして 気分が悪くなりました。このような記事の編集者のメンタルの強さは人間離れしている