第2位:尾崎豊

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尾崎豊は、「15の夜」や「卒業」などのヒット曲を持つ歌手。彼は1992年4月25日に、足立区の民家で倒れているところを発見されます。一度は妻や兄と自宅マンションに戻るものの、容態が急変し、搬送先の病院で亡くなりました。享年26歳でした。
尾崎豊の死は若者を中心に大きな衝撃を与え、4月30日に行われた葬儀には4万人が参列。規模は政治家の吉田茂、先ほど紹介した忌野清志郎に匹敵します。正確な人数は不明ですが、後追い自殺もあったとされ、尾崎豊のカリスマ性が改めて証明される形となりました。

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尾崎豊の死因は肺気腫ですが、死亡解剖時に覚醒剤が検出されています。つまり大量の覚醒剤の服用によるオーバードーズで肺気腫を起こしたことで、死に至ったものと結論づけられました。

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またテレビ朝日が、妻と知人が共謀して覚醒剤を飲ませて殺害したというドキュメンタリーを制作します。当然ながら、妻は訴訟を起こしたため、番組はお蔵入り。裁判も全て妻が勝訴したため、他殺説は完全に否定されました。

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尾崎豊は若くして亡くなったものの、名曲は今もなお歌われ続けています。また尾崎豊には、尾崎裕哉という息子がいました。彼も歌手として活動し、2023年4月には自らの楽曲と、父の名曲「I LOVE YOU」を収録したCDをリリース。尾崎豊の音楽に対する想いは、息子に引き継がれました。

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尾崎裕哉か小さい頃に尾崎豊は亡くなっており、生前の父の記憶はありません。尾崎裕哉か歌い続けるのは、父との思い出を埋める理由もあるのかもしれません。
尾崎:ミュージシャンになりたいと思ったのは5歳くらいのときで、それはやっぱり父親がミュージシャンだったことが大きいです。父のはっきりとした記憶があるわけではないんですけど(父を亡くしたのは2歳のとき)、その背中を感じながら生きてきたので、この職業に対するリスペクトが昔からありました。小さい頃は父の声真似をしていたんですけど、それも「ミュージシャンになりたいから」というわけではなくて、「父親の曲をもっと知りたい」っていう気持ちからだったと思います。
引用: CINRA
さすがに広告多すぎ
高橋君キャンセル
若者の自死(犯罪も)は戦後が一番多くて、その後は減り続けて、1986年に岡田有希子が死んでちょっとだけ増えたがその後はまた減り続けていって、コロナの時にまた増えたということです。
86年2月にマスコミが社会問題として初めて取り上げた中野・富士見中学いじめ自死事件がありました(この事件を契機にして、いじめの深刻さが理解され、いじめ防止対策がはじめられた)。
その時もメディアが連日センセーショナルに報道していましたがその時は連鎖自死はありませんでした。2か月後の4月に岡田有希子さんが自死した直後から若者がバタバタと自死していきました。明らかな後追いと見られる自死も少なくとも複数ありました
当時あまりに若者の自死が相次いで起こり、浜村淳さんや森田健作さん、アイドル仲間などタレントの方々が自死を思い止まるように若者に訴えていましたし、警察は「君たちが死んでも岡田有希子さんは戻って来ません」と訴えていました
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2名以外どこでページ開けるのか探すのすら止めたわハゲが
特に芸能界に興味ないから、お亡くなりなった事を知らない人ばかりで気になるが、
ポップアップも酷いところで、僅かな金稼ぎの為だけに死者を利用している酷い屑だ
こんにちは
他人の不幸、しかも亡くなった事案に順位をつけるなんて、不謹慎にも程がある。
まぁ、順位というか、数える人数として受け取ればいいじゃない。
故人を悼むならともかく順位つけて原因を推測していく記事書かないでほしい。
目につくのが不快です
うん